弁慶の力石

弁慶の力石

義経を待ち続ける馬岩の裏側、荒海に面した方にちょうど“わらじ”で踏んだような跡があります。これは弁慶の足跡だといわれています。その背後で島の上り口の少し右手の方に大岩の鍾乳洞のような洞窟があるが、これがまた弁慶が義経から預かった兵法の極意を記した『六韜三略(りくとうさんりゃく)』の巻物を隠したところだと伝え、いずれも馬岩を中心とする義経伝説を補強する形で言い伝えられています。
さらにまた、白い灯台の下の中腹に昔はちょうど瓶子岩に匹敵するような形と大きさの岩がありました。これは江差で義経のお供をしていた弁慶が、この地で本州から届けられる情報を待ちながら仲間と一緒に戦時に備えてトレーニングした時に、力比べをし、巨岩をそこまで運んだものだから『弁慶の力岩』と呼ばれていました。
まだその石があった頃のこと、島陰で小舟を操りながら漁をしていた二人の漁師が言い争いました。
「あの巨岩は弁慶が運んだ物だから根が付いていないのだ。だから、大きな力が働けば動くのだ。嘘でないって、おら昔から親爺に教えられていたもんだ」
「そんな馬鹿な話、誰が信じるってよ、根が付いて動くわけないてば・・・・・」
どちらにも軍配のあげられるものではなかったが、ついに勝負の時がきた。その巨岩が波にさらわれたのだ。激しい波が鴎島の中央部を越えてきた日のことである。昭和9年、函館大火の日であった。以来、同じように鴎島の中央部を波が越えたのは、20年後の洞爺丸台風の時だけだと言われています。

「民話・伝説・史話 -江差百話-」より

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