かもめ島

かもめ島

自然と伝説につつまれた島をめぐる

かつて、かもめ島がまだ弁天島と呼ばれていたころ、天然の良港を築くこの島はニシン漁や北前船交易の舞台でした。江差の歴史はかもめ島から始まったと言っても過言ではありません。そして今、檜山道立自然公園の特別区域に指定されるこの美しい自然の小島は、江差のシンボルとして多くの人に愛され、親しまれています。海抜30m、周囲2.6kmのかもめ島めぐりから、江差の観光をスタートなさいませんか。

かもめ島散策コース

瓶子岩

今から500年もの昔、様々な予言をするひとりの姥がおりました。
あるとき、姥はかもめ島で翁から小さな瓶を渡され、教えられたとおり瓶を海に投げたところ、江差にニシンが群来るようになったのです。
この瓶が石と化して海上に現われ、瓶子岩になったと伝えられ、姥は人々から折居様と呼ばれ神のようにうやまわれていました。

かもめ島祭り

毎年7月の第一土日に開催される「かもめ島まつり」では、町内の若者たちによって全長30mにおよぶ〆縄がかけられます。

かもめ島海水浴場

かもめ島には堤防を挟んで2か所の海水浴エリアがあり、
天然の入り江で波が穏やかで、町内外の人々に親しまれています。
海水浴期間中は監視員が配置され、足洗い場やシャワー室(冷水)が無料で利用できます。

江差追分記念碑

昭和7年、江差追分会本部高野小次郎氏ら12名賛助会員13名によって建立。
揮毫は当時の北海道長官佐上信一の手によるもの。この頃から江差追分が全国に広まってきたと言われています。

厳島神社(いつくしまじんじゃ)やらずの明神

島の厳島神社は昔、弁天様と呼ばれ明治元年(1868)に今の名となった。
この神は非常にケチな神様で、出稼ぎ人が金を頑張って蓄えても、それを使い果たしてしまわないと、故郷へ帰ることを許さなかったという。
もし、無理やり帰った場合は、その途中で祟りがあったといわれている。

方向石の手水鉢(ほうこういしのちょうずばち)

北前船の最終寄港地としての江差は「入船3千出船3千」「江差の5月は江戸にもない」とうたわれるくらいの繁栄を極めていました。
この北前船取引は、航海の安全が命であり江差回船問屋・村上三郎右衛門は航海安全・商売繁盛を祈願しこの手洗鉢を寄進しました。この方向石の設置により、かもめ島は日和山とされ、北前船の運行に貢献しました。
 江差の3大祭りのひとつ、「かもめ島まつり」には、海上安全・豊漁祈願・商売繁盛等を祈願し、御輿が御座船で海上渡御する神事がみられます。

浪切鳥居遺構(なみきりとりいいこう)

天保年間、回船問屋仲間が海上安全や商売繁盛のため社前の鳥居とともに、弁財天社(後の厳島神社)の第一の鳥居として建立。その後、波等で破損後、現在は一部を境内横に設置。

高橋謹斉翁記念碑(たかはしきんさいおうきねんひ)

高橋謹斉は1834(天保5)年江戸本所林町に生まれました。
緒方洪庵の適塾に学び、小石川療養所に勤務していたこともあります。
幕末には討幕運動に参画しました。
 1989(明治12)年に長男と共に江差に渡り風土病の研究や治療にあたり、当時大流行した疫病の治療に当たりました。
この碑は1907(明治40)年、病院を閉鎖し東京に戻った折、町民有志がその偉業を称え1905(明治38)年に建立したものといわれています。

初代浜田喜一記念碑(しょだいはまだきいちきねんひ)

1917(大正6)年江差町に生まれ、幼い頃から「江差追分節」の神童といわれたほどの名人でした。
彼は1985(昭和60)年に亡くなりました。
追分節を全国に広めた功績をたたえ、初代浜田連合会名取会門下により1987(昭和62)年に建立されました。

小路豊太郎記念碑(こうじとよたろうきねんひ)

小路豊太郎は慶応3年、江差町中歌町に生まれ、成人して越後出身の虚無僧神保政之輔より普化尺八の奥義を取得し、追分節の旋律と尺八の音律の調和に着目、尺八伴奏の確立をめざし、追分伴奏の基をなしたといわれる。
師の没後半世紀を経て小路流を継ぐ門下、有志が集い、1989(平成元)年に建立されました。

千畳敷

かもめ島の東崖に見られる、波の力による浸蝕の跡で、たくさんの畳を敷きつめたような形態から、千畳敷と呼ばれるようになりました。

北前船係留跡(町指定文化財)

往時、海路江差までたどり着いた北前船が江差に錨を下ろした場所は、日本海の荒波から船を守るかもめ島の内海でした。
その際の係留跡として、島の岩盤に細工した係留柱を入れる穴や係留環(ロープを通す環)が今でも残っています。

北前船飲用井戸(町指定文化財)

北前船がかもめ島に錨を下ろし、次の航海の準備で何よりも苦労したのが水の確保。
島には水がありませんでした。明治9年、江差の問屋村上氏は莫大な経費と長い年月をかけてこの井戸を掘り当て、北前船航行に大きな便宜をもたらしました。

徳川幕府砲台跡

嘉永5年(1852年)、松前藩が沿岸警備のために設置した砲台のうちの2基がかもめ島の上に設置されました。現在はその跡(テカエシ台場跡、キネツカ台場跡)のみが残されています。

弁慶の足跡

汐が満ちると隠れてしまいますが、崖下の平らな岩盤に、足跡のような2つの大きな穴が開いています。
これは、源義経に伴って江差へやってきた弁慶の足跡だと伝えられています。

義経と馬岩の伝説

かもめ島の東側、えびす浜に面した波打ち際に、白馬が首を上げ、いなないているかのように見える岩があります。かつて奥州平泉から源頼朝に追われた義経が、いっとき江差に逃れ住んだ後、葦毛の愛馬をかもめ島に残して再び出発したのですが、馬は雨の日も風の日も海辺を離れずに義経を待ち続け、やがてそのまま化石となってしまいました。それがこの馬岩だと伝えられています。

かもめの散歩道

 かもめ島には、点在する見どころをめぐる快適な散策路が整備されています。ゆっくり歩いても約2時間で一周することができます。
 また、島上の散策路に整備している木柵の一部は、北海道内で生産された木材を利用し、地球温暖化防止や豊かな森林の保全に貢献する取り組みも行っております。

かもめ島灯台

北海道立自然公園かもめ島夕日の展望台。
2018年に恋する灯台に認定されました。
西洋の小さい古城を連想させるような独特のフォルムを持つ灯台で、対岸にある江戸末期から大正時代の建物が建ち並ぶ懐かしい街並みや、岸辺に浮かぶ幕末の軍艦「開陽丸」とともに歴史のロマンを漂わせます。

かもめ島キャンプ場

 かもめ島は、周囲約2.6km、海抜およそ30mの小島で、防波堤によりつながっています。檜山道立自然公園の特別地域に指定されており、景観が美しく、江差のシンボルとして愛されています。
 このかもめ島の上にキャンプ場があります。島の上には徒歩で階段を上がることとなりますが、その苦労をするだけの価値のある、すばらしい景観を眺めることができます。

釣り

かもめ島周辺は海釣りにも最適です。春はカレイにホッケ、夏はアブラコ、秋はサバやフクラゲ、冬はホッケなどがよく釣れます。

かもめ島生物データベース化計画

「かもめ島研究員」の子供たちが、島に生息する海洋生物や鳥、植物などのマップ・データベースを作成しています。

かもめ島遊び満点マップ

かもめ島でのみどころ、遊び方などを紹介しています。ぜひ、かもめ島に遊びに来られる際は、印刷してお持ちください。

夕暮れが美しい江差町で日本海の映えスポットを巡るデート

「フォトジェニックな名所で撮影!映えスポットめぐり特集」企画で掲載されました!
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地図

【お問い合わせ先】
〒043-8560 北海道檜山郡江差町字中歌町193-1
江差町役場 追分観光課 観光係
TEL:0139-52-6716
FAX:0139-52-5666

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