江差に伝わる"にしん伝説"

江差に伝わる"にしん伝説"

今から500年も昔、江差町がまだ寂しい片田舎だったころ、どこからか姥がやってきて、今の津花町に草庵を結びました。
不思議なことに、天地の間、四季の事々、この老女の予言がことごとく当たり、変事が起こるたびに予知して教えるので、人々はこの老婆を「折居様」と呼び、神のように敬いました。
ある年、江差の浜で一匹の魚も捕れないことがあって、老婆は一心不乱に祈りを捧げました。2月はじめの頃、夜の丑三つ時、鴎島の方から突然、銀色の光が老婆の草庵を射ったので不思議に思い、訪ねてみると一人の翁が岩の上に座って、芝をしきりに焚いています。おそるおそる歩み寄ってその訳をたずねてみると、翁は小さな瓶をとりだして「この瓶の中に白い水がある。これを海の中に投げ入れると、ニシンという小さなサカナがうち寄せるだろう。毎年、これを捕って暮らしたらよかろう」と告げて姿を消してしまいました。そこで老婆は教えられたとおりにしてみると、海水は変わり、今まで見たことのない魚が群れをなして押し寄せてきました。老婆は、これこそがお告げのあった「ニシン」に違いないと、村人たちに教えました。ところが、村人たちは、これだけ大量の魚をどう捕獲するのかわからない。
そこで老婆が祈ると、再びあのみの翁が現れ、一枚の蓑の裏側を示しました。蓑の裏側は糸で編んだ網でした。
翁は網でニシンを捕る方法を教えたのです。そして「ただし、その高さはお前の背の高さ、目の数はお前の年と同じものにせよと言い残し消えました。老婆は村人たちに網の作りを教えました。
喜んだ村人は早速、漁を始め、江差の浜はやがてニシンで満ちあふれました。老婆は、これで住民たちは暮らしに困ることがないだろうと告げ、ある日、こつぜんと去っていきました。人々は驚いて方々を探しましたが行方はわからず、老婆が住んでいた庵に行ってみると、一個の神像があったので、これを折居様とよんで漁業を護る神としてあがめました。
その後、だいぶたってからこの神社の神職に藤原永武という人があらわれて、かの姥の神は天照大神、春日大明神、住吉大神宮の御尊体であると人々に告げたので、正保元(1644)年、その神像を津花から現在の場所に移したのです。これが姥神大神宮の由来です。
ところで、老婆が村人に示した網の大きさは、高さが五尺三寸(約1m59cm)目の数は63だったといいます。老婆はこれを固く守るように村人に言い渡しましたが、欲に目のくらんだ人々はいつしかこれを忘れて、大きな網で漁をするようになりました。それは明治の初めの頃だといいます。このころからニシンが捕れなくなってきたのは、老婆の言い付けを守らなくなったから、と信じる人が今もおります。
江差の人々にニシン漁を教えた折居様。折居様が祈りを捧げた神像を起源とする姥神大神宮。今になっても江差の人々の厚い信仰を集めています。

海中に投げ入れられた小瓶はやがて石となって海上に現れ、鴎島の「瓶子岩」になったといわれています。
姥神大神宮とは別に、折居様を祀っているものに折居社があります。安政4(1857)年に元の江差港入口から現在地に移され、現在の社殿はおよそ110年前に再建されたものです。
姥神大神宮も、はじめ津花町に建てられ、正保元(1644)年に現在地に移されたのです。松前地はもとより蝦夷地の一宮として、代々の藩主、領民の尊崇を集め、藩主の巡国の折には、かならず参殿して藩の隆盛、大漁、五穀豊穣を祈願する祈願所となりました。

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