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浜田喜一(はまだ きいち)

浜田喜一の家族

浜田喜一は、いまから100年ぐらい前に江差町の新栄町で生まれました。
おとうさんは江差追分の名人といわれた人だったので、浜田喜一も小さいころから江差追分を歌っていました。

東京へ

浜田喜一は歌手として生きていくため、17才の時に東京へ出ました。
東京や日本のいろいろな場所で民謡(みんよう)をうたって有名な歌手になりました。
東京でコンサートを開いたり、レコードを出しました。
江差追分(えさしおいわけ)もよく歌ったので、江差追分がとても有名になりました。

江差追分会館をたてるとき

江差に江差追分会館(えさしおいわけかいかん)をたてることとなりました。
浜田喜一は、その時にぶたいのまくをプレゼントしてくれました。

浜田喜一がなくなってから

浜田喜一がなくなってから、国は浜田喜一に「瑞宝章(ずいほうしょう)」という賞をあげました。
また、浜田喜一のなしとげてきたことを伝えていくために、多くの人たちが協力して浜田喜一の銅像(どうぞう)を鴎島(かもめじま)にたてました。

マップ

江差町教育委員会 社会教育課 地域文化係
 〒043-8560 北海道檜山郡江差町字中歌町193-1
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