開陽丸終焉之地
開陽丸終焉之地の概要
(前面碑文)
旧幕府海軍旗艦開陽丸は、明治元年(一八六八)十一月十五日、この沖合二○○メートルに座礁した。この開陽丸はオランダに発注した、当時最強最新鋭、近代日本海軍の創出に連なる軍艦であった。日本に回航された慶応三年(一八六七)は幕府苦悩の時であり、明治維新の胎動ともいうべき戌辰戦争に巻き込まれていくことになった。すなわち、開陽丸は北海道に新天地を求める榎本武揚ら、徳川家臣団によって函館戦争の参戦、松前藩経済の中心地江差に投錨した。しかし、不幸にして、暴風雨に遭遇、ついに、数日後、その英姿を海中に没したのであった。榎本にして「暗夜にともしびを失う如し」と嘆かせ、悲願を挫折させた開陽丸終焉の地はここ江差である。
(プレート文)
装備 大砲26(うちクルップ砲18門)
乗組員 400名 排水量 2,590トン
規模 長さ72.80メートル 幅 13.04メートル
船型 バーク型3本マスト400馬力補助エンジン付
所在地 | 北海道檜山郡江差町中歌町193−3 |
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設置場所 | 追分会館裏庭 |