豊年山(ほうねんやま)(姥神町)
豊年山(ほうねんやま)(姥神町)
山車紋「変り抱き稲」
人形は、神武天皇像
お囃子
「豊年山」の由来
「江戸にもない江差の五月」とニシン漁で全国に名を馭せたる 当地江差において豪商が軒を連ねた中心市街地である 当姥神町民及び関係者により誇りを持って保存伝承されている。
人形
人形/神武天皇像
神日本磐余彦尊は、はるばる瀬戸内海を渡り河内から大和へ進撃するが、兄五瀬命は戦傷で薨去、八咫鳥の先導で吉野に入り、大和を平定橿原の宮に即位する。宿敵長髄彦との戦いで天候が急変し、金鵄が来りて天皇の弓に止まり、天神の威光に賊軍は目眩みて潰滅したと東征神話にある。昭和55年人形司 12世伊東久重の作で、伊東司は享保年間京都四条高倉で桝谷庄五郎名で人形づくりを家業とするが、後桜町天皇より「有職御人形司伊東久重」の名を賜り代々継承する。後に光格天皇より「入魂の作に押す」拾六菊花紋印を賜る。
製作年/昭和55年(1980年)
製作場所及び作者名/
京都市 人形司 伊東久重 作
水引
「唐子春秋之図」豪華な金糸の刺繍が見事である。
江戸後期、京絵師山田芳洲筆、雅号索隠子先哲の画法を修めて能くし「法橋」に叙せられると扶桑画入傳にある。
「日本三景之図」陸前松島、丹後天の橋立、安芸の宮島 有名な日本三景の図柄をあざやかに描きだしている。明治45年蛭子山で製作。字地番改正で昭和12年旧中歌町代表横山宗右衛門が引継ぎ豊年山の水引きとなる。昭和55年宇佐美直八氏が修復完成。
姥神神社祭礼山車「豊年山」水引(唐子春秋之図)(日本三景之図) 平成12年4月19日 江差町有形民俗文化財に指定。
扁額
山車屋台
製作年/明治12年(1879年)
明治12年当町在住江州商人の雄 西澤喜蔵、田口伊右衛門氏等が大阪から北前船で運び昭和44年赤平鶴蔵氏が改装。
名刺と半纏
祭り囃子コンクール入賞歴
昭和53年 | 昭和54年 | 昭和55年 | 平成2年 | 平成3年 | 平成4年 | 平成8年 | 平成9年 | 平成10年 |
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3位 | 優勝 | 準優勝 | 優勝 | 準優勝 | 準優勝 | 努力賞 | 優勝 | 優勝 |
平成12年 | 平成16年 | 平成22年 | ||||||
3位 | 努力賞 | 3位 |
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