姥神大神宮渡御祭について

その起源はおよそ380年前にもさかのぼる、蝦夷地最古の祭りと知られた姥神大神宮渡御祭。その年のニシン漁を終え、蝦夷地きっての景気にわきかえる夏の江差で、豊漁に感謝を込めてにぎにぎしく行われるお祭りでした。
江差では御輿に供奉する曳き山を「ヤマ」と呼び、屋台に高く青木(トドマツ)を立てて神の依代とすることを「ヤマを立てる」といい表します。宝暦年間(1751~1764年)に作られた神功山をはじめとする、武者人形、能楽人形、文楽人形、歌舞伎人形などを配した豪華な13台のヤマが、吹き流しや錦の御旗をひるがえし、流暢な祇園囃子の調べにのって町内を練り歩きます。はるか遠い江差のニシン景気を現代に伝える夏の大祭です。

今から約380年前の蝦夷地一の繁栄を今に伝える北海道最古といわれるお祭りです。 人々の熱い思いをお伝えします。

姥神大神宮の祭りは、光格天皇から正一位の位をいただいた日にちなんで毎年4日(宵宮祭)・5日(本祭)が行われてますが、豪華な山車(ヤマ)行列は9日に御霊代奉遷祭が行われ、8月10日11日の2日間行われます。こうして姥神大神宮の祭りの幟は2度立ちます。一般には山車が巡行する渡御祭が、お祭りとなっています。
山車は神輿のお供をする形で、初日に下町を、2日目に繁華街を中心とした上町の路地をくまなく回って巡行します。町内に現存するもっとも古い山車と水引幕は、神功山(じんぐうやま)のもので、宝暦年間(1751年~1764年)京都の人形問屋が納めたもの。北海道の指定文化財になっています。
これに限らず13台ある山車はそれぞれ由緒があり、地区の宝物となっています。中でも松寳丸という山車は豪華さでひときわ目を引き、弘化2年(1845年)、近江屋利兵衛という人が大坂の船大工に頼んで大金を投じてつくったもの。すべてヒノキづくりの弁財船です。しかし、長年の使用で痛みがひどくなり、近年、地元保存会が1500万円の費用をかけて修復しました。戸数もわずかな町内会が、このような費用を捻出するところにも、祭りに寄せる江差の人々の心が感じられます。
山車がお供をする神輿は3基。その中で最も古いものは元禄7年(1694年)に大坂で制作されたことがわかっています。不純な心で神輿を担ぐと不吉なことがあるとされ、神輿に不調があったときには、海難や火事などの事例が起こったといいます。
歴史の浅い北海道にあって、日本を代表する神事として誇れる数少ない祭りです。

【お問い合わせ先】
〒043-8560 北海道檜山郡江差町字中歌町193-1
江差町役場 追分観光課 観光係
TEL:0139-52-6716
FAX:0139-52-5666

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