義公山(ぎこうざん)(南浜町・柏町・南が丘)
義公山(ぎこうざん)(南浜町・柏町・南が丘)
山車紋「水戸徳川葵」
人形は、徳川御三家、水戸藩主 徳川光圀
お囃子
「義公山」の由来
旧五勝手村は山車人形を所蔵するが山車は借用し、姥神大神宮渡御祭に巡行しておりましたが、大正13年中川民蔵、佐藤小三郎氏等が世話人となり山車を製作する。
代々、乃木山・乃木将軍で継承するが昭和24年(1949年)義公山、水戸黄門となる。
人形、水戸黄門は義公山の興隆に岩井勝三郎氏が寄進したものである。
水戸光圀は、第二代水戸藩主で義公という称号を持つ。義公は明暦3年大日本史編纂に着手し、多くの学者を各地に派遣して資料を収集した。
水戸黄門漫遊記で有名な佐々木介三郎(助さん)、安積覚(格さん)はいずれも大学者で特に介三郎は、義公の命を受けて全国に行脚したといわれている。
昭和23年まで乃木将軍(乃木山)でしたが、その後現在の黄門さんで「助さん・格さん」を従えた諸国漫遊の旅姿となっています。
町内の子供が「助さん・格さん」の姿で介添えしているのが特徴です。
光圀は「梅里」と号し、おくり名を「義公」、大日本史を編纂した。
人形
人形/水戸藩主、徳川光圀像
製作年/昭和24年(1949年)
製作場所及び作者名/
北海道 江差町 人形師 西海谷 厳(北龍) 作
水引
山車屋台
製作年/昭和51年(1976年)
製作場所及び作者名/
北海道 江差町 大工棟梁 辻 喜久雄
名刺と半纏
祭り囃子コンクール入賞歴
昭和53年 | 昭和54年 | 昭和55年 | 昭和56年 | 昭和58年 | 昭和59年 | 昭和60年 | 昭和61年 | 昭和62年 |
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3位 | 3位 | 3位 | 準優勝 | 準優勝 | 準優勝 | 優勝 | 優勝 | 優勝 |
昭和63年 | 平成元年 | 平成2年 | 平成3年 | 平成4年 | 平成6年 | 平成7年 | 平成8年 | 平成9年 |
3位 | 準優勝 | 3位 | 優勝 | 優勝 | 優勝 | 準優勝 | 3位 | 3位 |
平成10年 | 平成11年 | 平成17年 | 平成20年 | 令和5年 | ||||
準優勝 | 3位 | 努力賞 | 努力賞 | 努力賞 |
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